戸塚隆将『世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?』朝日新聞出版、2013?

戸塚隆将『世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?』朝日新聞出版、2013

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自己啓発本がはびこるこの世の中で、本書は最もシンプルに書かれた仕事をする上での基本的なテクニック本である。D・カーネギーのように具体例を用いて、哲学的なことを述べるのではなく、組織や社会の中で生きていくための基礎を構築するための考え方が述べてある。

著者はゴールドマン・サックスとマッキンゼーの二社で仕事の経験があり、いわゆるビジネス界のヒエラルキーの頂点近くにいた故に、非常に説得力がある。そうなると、近年はやりの自己啓発本がいくつか頭上に浮かぶ人もいるだろう。しかし、そのようなキャリアポルノなどと囃し立てられるキャリア自慢本ではない。

効率よく、気持ちよく仕事をするためには様々な点に意識する必要があり、それはどのような職種であっても共通する部分がある。「3秒で開ける場所に常にノートを置いておく。」「作った資料は自分の商品だと心得る。」など、どこかで聞いた当たり前のことを再確認させてくれるのが本書である。常に基本を意識するということは、仕事ができる人間への一番の近道なのではないだろうか。

川北稔『砂糖の歴史』岩波ジュニア新書、1996

川北稔『砂糖の歴史』岩波ジュニア新書、1996

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「お砂糖をお付けしますか?」

カフェで当たり前のように聞かれる、この会話には間違いなく世界史を動かした「モノ」が含まれている。それは言わずもがな「砂糖」である。

原産地こそ分かっていないが、インドネシアやインドが砂糖の端緒であったと言われている。そこから、イスラーム世界を通じて十字軍遠征を機に西欧に流入していった。西欧ではイスラームから流入してくるこの砂糖で一大ムーブメントが起きた。ステータスとして砂糖を食べ、万能の医薬品であるとも言われていた。どうしたら砂糖が安く手に入るのか、世界中の政治家や実業家が頭を悩ませ、競争を始めた。

大航海時代に、北米、南米、西インド諸島が植民化されていく。それらの国々では、原住民やアフリカから連れてこられた黒人奴隷によって、砂糖やコーヒーといった世界商品を栽培していく。

アメリカの独立やその後の世界中の人間の生き方にも大きな影響を与えた魔法の食べ物である砂糖。現在の世界システムや貧困問題とも密接に関わっている砂糖。北では、砂糖の食べすぎを抑制し、南では飢餓で死んでいく子どもたちが後を絶えない。

本書は、そんな「砂糖」の歴史をダイナミックに描いている。ジュニア新書ではあるが、大人が十分に楽しめる良書だ。

鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』講談社現代新書、2004

鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』講談社現代新書、2004

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西欧では、封建制の遺制が残されていた時代に、強靭かつ寛容な国家であるオスマン帝国は存在していた。13世紀から~20世紀の初めという長い長い年月に国家として存続した理由が本書には述べてある。寛容である中央集権的な専制国家という一見矛盾を孕むような語り口がこの国家には相応しい。

オスマン帝国は宗教の共存を図るためにミレット制をとった、というのは西欧中心の歴史観によってつくられたものであることは、今や周知の事実であろう。「コーランか剣か」という偏向した歴史観はむしろ近代初期までキリスト教と比べて圧倒的に寛容であったイスラームへの、倫理人道的な劣等感からつくられた歴史であると言っても過言ではない。

オスマン帝国は紛れもなく「宗教のるつぼ」であった。また、多言語の国家でもあった。それを存続させるために君主がとった政策、またイスラームの基本的な体裁こそが「寛容」そのものなのである。

人材の登用制度や税の制度をはじめとした諸制度がこの国家を強靭かつ、西欧社会にとっての脅威として存続させた。レパントの海戦による敗北以降、何かが変わってしまった帝国ではあったが、イスラーム世界においてここまで長く続いた意味を本書で知ることができる。

蒲生礼一『イスラーム』岩波新書、1958

蒲生礼一『イスラーム』岩波新書、1958

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西欧中心の歴史観において軽視されていたイスラーム。確かに近代のみを考えると文明の発展の差は著しい。それは現代における貧困問題や技術発展の差からも感じ取ることができるだろう。しかし、イスラームは過去において西欧の文化や歴史に多大なる影響を与えている。

それでは、イスラームとはどのような宗教であるのか。本書はイスラームの歴史や基本的な考え方を学ぶための入門書と呼べる。

唯一神アッラーのもとで、現代に至るまで「六信五行」という基本理念が固く守られている。ラマダーン、女性の服装、一夫多妻など他の宗教には珍しい特有の宗教文化を残すイスラームには一つ一つの原則の裏に統一のための深い意味があった。混沌に秩序をもたらすために、アッラーからの預言を受けたマホメットとその教えを信じる者たちの歴史が本書には述べてある。

現在、日本では「ハラル」というイスラーム専用の食品がビジネスとしてターゲットになっている。ビジネスマンはモスクに通い、イスラームの宗教儀礼を勉強しているという。今、急激に日本との距離が近くなるイスラーム。すべての人が相手の宗教を理解しなければ生きていけない時代がそこまで来ているのかもしれない。

見田宗介『社会学入門~人間と社会の未来~』岩波新書、2006

見田宗介『社会学入門~人間と社会の未来~』岩波新書、2006

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社会学というと、何をやっているかよくわからない学問と幼いころ父に教えられた記憶がある。それは多様性に富んでおり、マクロなものからミクロなものまである。学問を研究する場合、一つ一つはそれぞれの専門領域を持っており、そこには不可侵的な暗黙の了解が引かれている。

しかし、学問はそれぞれがつながりを持っており、それを一心に追い続けると他の専門領域にも足を踏み入れることになる。とりわけ、社会学の領域は専門分化された学問体系の中で無限に広がっていく。

人と人との関係性の中に社会が生まれ、その中で人間は多くのものを生み、多くのものを失ってきた。農耕文化の際にはあったものが、産業革命を経て無くなったものもあった。物質的な豊かさを求めて発展していった社会の中で奪い取ることが当たり前に行われてきた。それぞれの時代にそれぞれが反映された文化が生まれ、人と人との関係性の中で表現されていった。その関係性や表現から読み取れることを研究することは、どんなものであっても社会学の学問領域にある。

表現方法も多岐にわたる。それは文学であり、歌であり、メディアであり、リストカットすることであった。時にテロを起こすことであり、人を殺すことであった。関係の絶対性の中で人や社会は欲望に促されながら、表現をやめることはなかった。

本書は社会学入門のために経済、文化、歴史などの具体例を挙げて、社会学者の観点から上梓されている。著者の体験や独特の観点が多い点からも教科書的な本ではないが、若者が社会学を入門する際の敷居を下げてくれている。

池上英洋『ルネサンス 歴史と芸術の物語』光文社新書、2012

池上英洋『ルネサンス 歴史と芸術の物語』光文社新書、2012

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「なぜ人文主義だと古代の文化が復興するのか?なぜ中世的な世界観から脱することになったか?」これらの質問にどれだけの人間が答えられるだろうか。

本書はルネサンスを構造的に解釈するために書かれたものであり、これらの質問に答えるためのヒントを与えてくれる本である。また、著者は美術史に造詣の深い人物であり、構造的な話以外にも、ルネサンスに活躍した人物や絵画の特徴も数多く紹介している。

それでは、ルネサンスはなぜ始まったのか。それは当時の商業やキリスト教の変質を話すことが欠かせない。一般的に知られているであろう、メディチ家が財力をつけたからとする説は一辺倒すぎるという。

商業に基づいて言うと、十字軍遠征がポストルネサンスの萌芽であることを訴えている。十字軍遠征によってヴェネチアを介して、イタリアに多くの輸入品が舞い込んできた。さらに、商業が活発化し、金融業も盛んになっていく。また、コムーネといった自治都市のもとでギルドが力を持ち、フィレンツェではルネサンス期がはじまるための経済的な基盤が確立された。

本書は美術史の専門家としての著者が場面ごとに当時の美術品を社会背景やルネサンスの浸透に基いて述べている。数字や歴史の根拠というより、美術品や画法にこだわって書いているあたりが一般的な歴史書とは一線を画しているところであろう。

今谷明『封建制の文明史観~近代化をもたらした歴史の遺産~』PHP新書、2008

今谷明『封建制の文明史観~近代化をもたらした歴史の遺産~』PHP新書、2008

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歴史は繰り返される、その文言は機会を問わず聞かれる言葉である。人間が織りなす歴史には場所や時代が違っても類似している点が多くある。とても不思議である。

日本と遠く離れた西欧で同じような封建制が敷かれていた。もちろん、細かい部分をみてみると相違している点があることは言うまでもないが、本質的な性質はとても似通っている。

封建制の定義はとても曖昧で、一括りにすることは難しい。第二次世界大戦後に優れた封建論であると評価されたオットー・ヒンツェによると封建制の概念規定は3つの面で捉えられる。①主君と忠誠によって結ばれた職業戦士層の分化に基づく軍事的機能②権力の分散に基く政治的機能③領主・農民関係に基く社会・経済的機能。この3つの面のどれが欠けても封建制は成り立たないとヒンツェは述べた。

果たして、この封建制は文明の進化やその後の歴史にどのような影響をもたらしたのだろうか。本書では封建制について述べた数多くの研究者が登場する。島崎藤村、大隈重信、梅棹忠夫、ウィットフォーゲル、、、ジャンルを超えた数多くの研究者がこの封建制の意義について筆を執った。

現在の先進国と発展途上国の差を見るときに、ここから見ていかなければならないのかもしれない。それが国の発展上どれだけの意味を持ったか。本書は世界中の研究者の考えを垣間見ることができる。

丹下和彦『食べるギリシア人~古典文学グルメ紀行~』岩波新書、2012年

丹下和彦『食べるギリシア人~古典文学グルメ紀行~』岩波新書、2012年

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本書はギリシア人がどういった食べ物を好んでいたかということを知ることができる楽しい本である。古典から一節を抜出して、ほらギリシア人はこの食べ物をこういう時に食べていたのだよ、と伝えてくれる点で本書はとても分かりやすい。

『イリアス』『オデュッセイア』というホメロスの両詩編を筆頭に、ヘロドトス、トゥキュディデス、プラトン、アリストファネスなどジャンルを超えて、古代ギリシア人はどういう食べ物を食べていたかということを引用し、全4章で書かれている。

内容は章ごとの題名を見ていただくのがわかりやすいであろう。それは「1 英雄たちの食―叙事詩を読み解く」「2 酒のなかに「真」あり―抒情詩に浮かぶ人の世」「3 庶民のレシピ―喜劇は語る」「4 食卓の周辺」である。この題名から、書籍を読んでいる人間なら想像できるかもしれない。

私はギリシアの古典を読んだことはない。それゆえどういった食べ物を食べていたかは、ほとんど知らなかった。この本を読んで、ギリシア時代の食生活は現代にも共通する部分が多くあることがわかった。

たとえば、ギリシア人がワインの飲みすぎで二日酔いになった時にキャベツを食べるという話は驚いた。そういえば現代でも、キャベジンという錠剤を二日酔いの際には服用する。ギリシア人の賢さには舌を巻くしかない。

岩田規久男『日本経済を学ぶ』ちくま新書、2004

岩田規久男『日本経済を学ぶ』ちくま新書、2004

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本書は第二次世界大戦後から2004年までの日本の経済、経営、金融、経済課題について論じてある本である。ざっくり言うとこのようなものであり、新聞を読むためには必要な知識が詰まっている本であるように思える。

第一章、第二章では、高度経済成長、オイルショック、バブル、バブル後の日本経済の歴史をその変化の理由と共に述べてある。こうしてみてみると、経済というものがいかに家庭に影響するのかということがよくわかる。また、企業、金融機関、株、投資などといった、社会を支えている部分がいかに不安定で現在の社会システムをつくる上で重要なものになってくるのかということも考えさせられる章であった。

本書は概略的な戦後経済史を述べている他にも、日本独自の経営システムやその後の変化について書かれている。終身雇用や年功序列といった日本の経営体質や給与の仕組みを説明しているものはアメリカのそれを用いることによって非常に分かりやすいものとなっている。

基本的に経済というものは数字に変化が出てしまうものであるからこそ、良し悪しが分かりやすい。ITバブルがはじけ、デフレ真っ只中であった当時(2004年)は経済学者である著者は相当ストレスが溜まっていたらしい。第七章には量的緩和を進めること、インフレ目標を決めることなど、アベノミクスへの予言ともいうべき著者の持論と当時の体制への批判が述べられている。

最後に難しい言葉を並べるような書評になってしまったが、理解をしていない箇所が本当にたくさんあり、読むのに一苦労であったことを言い訳としたい。また、この本で読んだことは新聞を読む中で自ずと復習ができる場面が数多くあるため、今後も新聞からの情報のインプットに力を注いでいきたい。

竹下節子『キリスト教の真実~西洋近代をもたらした宗教思想~』ちくま新書、2012年

竹下節子『キリスト教の真実~西洋近代をもたらした宗教思想~』ちくま新書、2012年

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本書は、キリスト教の歴史の一般説を再考し、歴史で取り扱われるキリスト教の立ち位置について問いただしている本である。それは、ギリシア時代の哲学者の話から始まって、西洋にキリスト教が広まっていく歴史を時代ごとに順に追う中で随所に散りばめられている。

この本の中でも特に強調されていたのは、第二章の「暗黒の中世の嘘」で述べられているホイッグ史観についてである。著者は全体を通してホイッグ史観的なカトリックの描き方に懐疑的にアプローチしているが、この章ではそれが顕在化していた。

本書によると、ホイッグ史観とは「進歩史観に基づく現在の歴史を肯定することから出発する歴史の見方」であるそうだ。その考え方を「蒙昧なキリスト教徒が高度なアラブ人に影響を受けた歴史」というシニカルな書き方をすることで、ミスリードであることを訴えている。それと同時に、イスラームがキリスト教徒の文化の発展に寄与したという一般説に対して偏向していると訴えている。

たとえば、イスラームは寛容な宗教でキリスト教徒共存していたとする説を様々な具体例で、相互に作用し合っていたと言い換えている。近代医学はギリシア時代からキリスト教内部で消えることはなかったことや、スレイマン1世は他のイスラーム宗派や政敵には寛容ではなかったと述べていることが、それにあたる。

著者は自身の説を中庸であることを訴え、本書をつづっている。私にはこの説が中庸なのかどうか判断しかねるが、より多くの本を読み、判断できるようになっていきたいと思う。